国立国語研究所長 影山太郎
国立国語研究所(「国語研」;NINJAL)は,地球上に存在する約6,000の言語のひとつとしての日本語が持つ普遍性と個別性を多角的・総合的に研究し,その成果を広く社会に還元することで人間というものの理解の深化に貢献することを目的とした研究所です。
約200万年前にアウストラロピテクス属から分化したとされるヒト属は,幾つかの類似種を発達させながらも,結局,現在の人類(ホモ・サピエンス)だけが生き残り,今日の高度な人間社会と文明を築くことができました。それを可能ならしめた重要な要因のひとつが,大容量の脳と発話に適した発声器官によって生み出される「言語」であることに疑いの余地はありません。言語は,人間社会を円滑に動かすためのコミュニケーションのツールであるばかりか,学問,文化,思考,芸術などあらゆる知的創造活動の源泉でもあります。言い換えると,言語の研究は人間そのものの研究であり,言語の研究を深めることで私たち人間の生活はより豊かになると考えられます。そのように重要な人類の資産である言語----とりわけ私たちの日本語----を扱う国立国語研究所が日本および世界で果たすべき役割は極めて大きなものと認識されます。その期待に応えられるよう,所員が一丸となって学術と社会貢献の両面で多彩な活動にチャレンジしていく所存です。
以下では,現在行われている諸活動を俯瞰することによって,みなさまを新生・国語研にいざないたいと思います。
1948年に創設され,62年もの歴史を持つ国立国語研究所は,独立行政法人改革の一環として平成21年10月1日に大学共同利用機関法人・人間文化研究機構に移管され,所在地も当初の明治神宮外苑から神田一ツ橋,東京都北区西が丘,そして2005年から現在の立川市緑町という変遷を経てきました(詳しい歴史は沿革をご覧ください)。その間,日本語名は不変ですが,英語名はその時々の時代の要請に応じて,設立当初のThe National Language Research InstituteからThe National Institute for Japanese Language,そして平成21年10月からはNational Institute for Japanese Language and Linguisticsに変わりました。字面はNational Institute for Japanese Languageの後にLinguisticsが加わっただけですが,この一単語の追加は本研究所にとっては画期的なことであり,研究の範囲やアプローチが現代的に生まれ変わったことを意味します。すなわち,単に日本語(Japanese language)を扱うだけでなく,日本語の言語学(Japanese linguistics)を研究するための学術機関になったわけです。これからは「国語研」として,あるいは英語名の頭文字を取ったNINJAL(ニンジャル)として親しんでいただきたいと存じます。
このように研究範囲が日本語(国語)から日本語言語学へと拡大すると,それに伴って研究内容そのものも従来より遙かに幅と深さを増すことになります。そのような充実した研究を推進していくためには,当研究所の約30名の専任研究者だけでは不十分であり,国内外の研究者および研究機関と協力していくことが必要になります。その基盤となるのが大学共同利用機関というシステムです。
大学共同利用機関は,膨大な学術情報・資料だけでなくネットワーク型共同研究や新分野開拓のための共同研究の場を全国の研究者に提供し,国内外の第一線の研究者・研究機関との協力・交流を推進することによって我が国における学術研究の中核的研究拠点(COE:Center of Excellence)として機能することを主要なミッションとした組織です。研究分野によって自然科学研究機構,人間文化研究機構,情報・システム研究機構,高エネルギー加速器研究機構の4機構に分かれ,国立国語研究所はその中の人間文化研究機構に所属しています。人間文化研究機構には既に,国立歴史民俗博物館,国文学研究資料館,国際日本文化研究センター,総合地球環境学研究所,国立民族学博物館があり,国語研は6番目の機関となりました。

古くから「国研」をご存じの方は,研究内容が具体的にどう変わったかに関心がおありのことでしょう。「国語及び国民の言語生活並びに外国人に対する日本語教育に関する科学的な調査研究」という従来からの基本的任務は揺らぎません。ただ,あくまで,大学共同利用機関としての役割が土台にありますから,研究所全体の組織が次のように再構築されました。
まず,従来の国語研の重要な柱であった方言研究とコーパス構築はそれぞれ,「時空間変異研究系」,「言語資源研究系」と呼ばれる研究部門に位置づけられ,それと並んで,言語の基本的な性質(文法,語彙,意味,音声,談話)を扱う「理論・構造研究系」と,諸外国語との比較・対照を行う「言語対照研究系」が設けられ,全部で4研究系の体制となりました。これらの研究系は,日本語研究の中核拠点として,国内外の研究者・研究機関と大規模な共同研究を推進しています。当然のことながら,数多くの研究テーマが新規に発足し,国内外の大学・研究機関との広範囲な共同研究を主体とすることで,研究の視点や手法も従来以上に幅広くなっています(詳細は共同研究のページをご覧ください)。
大学共同利用機関の重要な使命のひとつは研究者コミュニティおよび社会との連携です。研究所と外部をつなぐ架け橋として,研究情報資料センター,コーパス開発センター,日本語教育研究・情報センターを設置しました。これら3つのセンターは,旧国語研に蓄積された言語資源やデータベース,『国語年鑑』,『日本語教育年鑑』等の刊行物に含められていた研究情報はもとより,新しく得られた研究成果や研究情報・資料を,日本語学・日本語教育の専門家だけでなく外国人の日本語学習者や一般の方々にも利用できるようにウェブ上で公開していきます。
大小様々な共同研究プロジェクトが始動していますが,それらを整理すると次の4本の柱に大別できます。この4つのグループが本研究所の「看板」となります。
世界諸言語と比べて日本語の特徴となる文法・語彙・音韻の諸現象を重点的に取り上げて理論的・記述的に解明し,その研究成果をグローバルに発信する。
我が国で消滅の危機に瀕している諸方言を集中的に調査・保存・分析し,日本語の多様な姿を記録すると共に,ユネスコや世界各国の言語学者が行っている危機言語調査研究に貢献する。
現代語コーパスの構築を早期に完成させると共に,歴史コーパスの設計・開発にも着手し,言語研究だけでなく,日本語教育・学習,マスコミ,機械翻訳等,様々な方面への有効活用を図る。
在日外国人が増加し多文化共生が求められる現代日本における日本語教育の諸問題について実態調査と実証的研究を行い,外国人の日本語学習の効率化や異文化摩擦の解消を図る。
これらの共同研究は,各々,年に数回,公開の研究発表会を開いています。その多くは立川市の研究所で行われますが,研究ネットワークを形成する幾つかの大学での開催も積極的に行っていきます。いずれも公開で,共同研究に直接関わらない研究者・大学院生の参加も歓迎しています。まとまった具体的成果が出るのは2~3年先と予想されますので,期待をこめて見守っていただければ幸いです。
共同研究発表会の他に,所内の小さな発表会(国語研サロン)や,第一線の外部研究者による講演会(国語研コロキウム)を実施し,近いうちに,日本語研究や日本語教育研究の基礎を解説する講習会(国語研チュートリアル)も随時,開催していく計画です。
立川市の研究所まで行くのは大変だと思い込んでおられる方々も多いことでしょう。しかし実際には東京駅から特別快速で約40分の近さで,現在の立川は,活気に溢れたJR立川駅周辺と,静かで富士山の見える研究所周辺(同じエリアに国文学研究資料館,国立極地研究所,統計数理研究所という3つの大学共同利用機関もある)とのコントラストが印象的な住みよい町です。一般公開される催し物は,このサイトで随時ご案内していますから,是非,お立ち寄りください。
最後になりましたが,改めて,みなさまからのご支援,ご協力,ご指導,ご鞭撻をお願いしたいと存じます。新・国語研は動き始めたばかりです。このサイトのコンテンツもこれから充実させていかなければなりません。国内外の研究者との大規模な共同研究から得られた研究成果を研究コミュニティおよび一般社会に活かしていくことこそ,一般の大学ではできない,本研究所の強みです。「国語研のファン」,「国語研のサポーター」のみなさまと,所員とが一緒になって日本語の本質を極めていくことができれば,所長としてこの上ない喜びです。