表紙のことば

第19号(2004年4月1日発行)表紙昭和29年10月~昭和37年3月:旧一ツ橋庁舎

国立国語研究所は,来年1月,東京都立川市に移転することになっています。現在の北区西が丘で仕事を始めたのは昭和37年4月のことです。それまでは昭和23年12月20日の創立以来,何度か移転を重ねていました。

創立当初は,聖徳記念絵画館(新宿区霞ケ丘)の一部を借用して仕事をしていました。仕事が進むにつれ手狭になったため,昭和26年12月からは分室として,三鷹市の旧山本有三邸(現・三鷹市山本有三記念館)や新宿区立四谷第六小学校の一部を借用していました。再び一つ所で仕事をすることができるようになったのは,昭和29年10月に千代田区神田一ツ橋に移ってからです。

国語研究所では,創立以来,実際の話し言葉を録音してデータとしたり,新聞や雑誌から用例を大量に集めて分析したり,統計的手法を取り入れたりして,現代語研究という領域を開拓していきました。

石造りの絵画館は冬の寒さが身にこたえたそうですが,一ツ橋時代も冬は石炭ストーブ,夏は扇風機で,用例を記したカードが風に飛ばされないよう苦労したそうです。その用例カードも,今ならパソコンなどを利用して入力するところでしょうが,当時は手書きや邦文タイプを利用していました。また,資料などもガリ版を切って刷っていたそうです。

ところで,松本清張の小説『砂の器』には国語研究所が登場します。最近,新たにテレビドラマ化されたので御存じの方もいらっしゃるでしょう。

物語は殺人事件から始まります。刑事の今西は,目撃証言で得た東北弁と「カメダ」という言葉を手がかりに,秋田県亀田を訪ねますが成果を挙げることができません。そこで,国語研究所を訪ね,出雲(いずも)の音韻(おんいん)が東北方言のものに似ていることを知り,島根に亀嵩(カメダケ)という地名を発見するのです。

先ごろ放送されたドラマでは,現庁舎が撮影に使われました。昭和49年に映画化されたときは,現在地に建っていた旧庁舎での撮影でした。

さて,原作では次のようにあります。「今西栄太郎は,都電で一ツ橋に降りた。暑い盛りを濠端(ほりばた)の方に歩くと,古びた白い建物があった。小さな建物である。「国立国語研究所」の看板がかかっている。」

原作が書かれたのは昭和35年。研究所は当時,神田一ツ橋の一橋大学所有の建物を借用していました(現在は学術総合センターが建っています)。

西が丘の庁舎は新旧ともに映像に残りましたが,一ツ橋庁舎はどうだったのでしょうか。――原作は昭和37年にもテレビ化されています。そのときに写ったのを見た覚えが……という話もあるのですが。

*引用は新潮文庫によりました。

(池田 理恵子)